なぜダメ?体罰問題についてもう一度確認しておくべきこと

体罰問題について

体罰について考えさせられる事件がありました。日野皓正の中学生ビンタ事件です。

40人ほどの中学生ビッグバンドを指導していた日野皓正は、言うことを聞かないドラム担当の中学生に体罰を加えました。発表会の場という公衆の面前でのことです。

週刊誌が最初にこの事件を取り上げ、その後テレビやネットに拡散。日野皓正への避難が集中しました。

しかし一方的すぎる印象を受けます。肯定派もいますが、こちらもなんだか善悪だけで見ている感じ。

この問題が難しいのは体罰には実際有効な場合があるという点です。

暴力を用いるという極端な指導だからこそ生まれてくる気づきや反省があります。これは否定できない事実です。

そして今回の日野皓正ビンタ事件もこのケースに当てはまります。体罰は有効でした。

中学生は若さゆえに暴走してしまった

そもそもこの事件が起きたのは中学生の行きすぎた暴走からでした。

世界的なトランペット奏者である日野皓正は、世田谷区の教育委員会が主催する体験学習で毎年中学生を指導しています。

2017年も40名ほどの中学生たちが4ヶ月の練習を重ね、発表会に臨みました。往復ビンタされた中学生もこのメンバーでしたが、当初から自由奔放でちょっとした問題児だったようです。日野皓正は練習のときからこの中学生に手を焼いていました。

でもその半面出来の悪い生徒ほど可愛いという面もあり、日野皓正はこの子を可愛がっていたし彼のドラムへの情熱や才能を非常に買っていました。

しかしやはり中学生です。本番の発表会で暴走してしまいます。

コンサートも佳境へと進み、それぞれがソロ演奏をとるという部分に差しかかりました。

みんなが順番にソロ演奏を披露していきました。

そして問題の中学生です。彼はここで暴走してしまいました。気持ちが乗ってきたのでしょう。客前での演奏ということもあったのでしょう。延々とドラムソロを続けていつまでたってもやめません。それどころか周りを誘ってソロに参加してくるようけしかけます。

もうノリノリです。

ドラム中学生を日野皓正がビンタ

最初は周りの子たちも多少ドラム・ソロに付き合った演奏をしたりしましたが、いつまでたっても終わらないので途中でやめてしまいます。

でも暴走中学生はまだまだドラムソロを続けます。異様に長いソロに会場は「何これ?」という感じに・・・

見かねた日野皓正はドラムソロをやめるよう注意します。

でもやめない。

日野皓正は暴走中学生のところに行き、ドラムのスティックを取り上げて強引に演奏をやめさせました。

しかし暴走中学生は今度は素手でドラムを叩きはじめます。もう止まらない。

それで日野皓正は暴走中学生の髪をつかんで往復ビンタを食らわせたと。

中学生は反省している

状況を見るとこれもう強引に止めるしかない状況です。

言っても聞かないし、スティックを取り上げてもまだやめない。じゃあどうしろと?

もう体罰しかないでしょう。

暴走中学生はそれだけの迷惑を周囲にかけたのです。ほかのバンドメンバーは困惑していたし、観客も呆然としていました。責任者である日野皓正は絶対止めないといけない状況です。

この事件について暴走中学生と彼の父親がちゃんと雑誌やテレビの取材に応じています。中学生はちゃんと反省しているし、父親もウチの子が悪かったと言っています。

あとになって暴走中学生も自分のやったことがいかに身勝手な行動だったかを理解したようです。

体罰は有効に機能したのです。

暴走中学生にとっては貴重な経験になったのではないでしょうか。

口頭で暴走を止めようとしてもグダグダになって遺恨が残る結果に終わったように思えます。暴走中学生にとっても何も学べないまま終わった可能性があります。

体罰を禁止しないといけないのは有効に運用するのが難しいから

日野皓正の体罰は有効でした。

体罰はきちんと使用すればちゃんと効果を発揮します。

しかし困ったことに体罰は運用が非常に難しいものです。だからもう全面禁止になっています。

有効な場合もあるけど多くのケースで体罰はマイナスにしかなりません。体罰はいわば劇薬です。用法を間違うと毒にしかなりません。

かなり極端で危険な指導法です。熟練教官がイザというときだけ使うべきしろものです。

しかし体罰が怖いのは簡単に誰でも使えること。しかもその場しのぎの一時的な効果が現れます。

とりあえず叩いて叱っておけば生徒はしたがいます。力で抑えつけるのって非常に簡単なのです。

体罰ほど簡単で難しいものが他にあるでしょうか

力で従わせるのって本当に簡単です。

簡単すぎるからつい多用してしまいます。昭和の時代には体罰がかなり安易に使われていました。指導力のない教師ほど体罰に頼りたがる傾向がありました。しつけが出来ない親も体罰に依存しがちです。

体罰は簡単だし、その場だけの一時しのぎ効果があらわれます。だから一度使い始めると癖になります。もう他の正統な指導方法なんて使えなくなっていきます。

でも体罰って実際は何も教えていないのと一緒なので、問題の根本的な解決には至りません。「やる気があるのか!」と叩くと一時的な効果だけは出ます。相手もその場では反省しているふうな態度になります。

でもやる気は結局いつまでたっても出てきません。根本的な原因を究明していないし、それを解消する対策も施していないから。

しつけや教育って難しいものです。粘り強く指導していく忍耐力だって必要になってきます。

有効に使われる保証がない以上は禁止が当然

体罰を許可してしまうと残念ながら安易に乱用されてしまうのがオチ。

有効に運用される保証がないのです。それどころか安易な運用ばかりになることが目に見えています。

だから教育の場で体罰は全面的に禁止しないといけません。プラス面よりマイナス面の方があまりにも大きすぎます。

日野皓正の往復ビンタ事件についても「中学生の方が悪いんだから体罰は正当」みたいな容認論があります。でもそこは善悪ではないんです。懲罰という面だけで見ると悪い奴は殴ってOKと考えがちです。でも重要なのは教育としての成果です。その指導が有効だったかどうかが一番重要です。

そして体罰は運用が非常に難しいという性質を絶対に忘れてはいけません。

体罰禁止の原則からすると日野皓正のやったことは完全にアウト。長年続けてきた中学生バンドへの指導も辞めるべきです。このへんの処分はしっかりやらないといけません。やったことに対する責任はちゃんと取らせるべきです。

そうしないと体罰禁止という原則がグラつきます。体罰抜きで教育を行っていくんだという方針は曲げてはいけません。

昭和の時代では当たり前だった体罰が今では禁止となっています。そうしておかないとPTAやマスコミに叩かれるからではありません。運用が難しくてマイナス面ばかりが出てしまうという体罰の特性を考慮しての決断です。

世間体を気にして禁止になったわけではないことを今一度確認しておくべきでしょう。

体罰は有効なときもある

体罰は教育の場では禁止。

しかし体罰の問題がややこしいのは有効に機能するケースもあることです。体罰が絶対的な悪なら話は早いんです。禁止して単純に忌み嫌っていればいいんです。

でも体罰はときに有効なケースがあります。

言葉ですべてを教えることが出来るならそれに越したことはありません。

でも言葉では教えられないものってありますよね。

例えば80年代のTVドラマ「スクールウォーズ」で滝沢先生が生徒を殴る有名なシーンがあります。

「スクールウォーズ」は実話をドラマ化したものです。不良の巣窟みたいな荒れ果てた高校に赴任してきた滝沢先生はラグビー部の監督を任されました。しかし残念ながら就任後初の公式戦で強豪校と対戦して、109-0という大敗を喫してしまいます。

でも滝沢先生はけして負けた罰として生徒たちを殴ったわけではありません。むしろ自分の指導力不足でこんなひどい負け方をしたと自分を責めます。

彼らは落ち込んでいるに違いない。温かく迎えてあげねば。励ましてあげねば。

しかしロッカールームへ迎えにいって滝沢先生は絶句します。負けたラグビー部員たちはヘラヘラ笑っていたのです。

「やっと終わったwww」

「やれやれだぜwww」

「疲れたwww」

この生徒たちの態度に滝沢先生は激怒!「おまえたち悔しくないのか!おまえたちはゼロの人間か!」そのように生徒たちに説教したあと部員ひとりひとりを殴っていきました。

この日を境に生徒たちの様子に変化が訪れます。そして滝沢先生のラグビー部は109-0で負けたその強豪校に翌年勝利します。

体罰が有効に機能したのです。

生徒たちは負けたことを正しく受け止めていなかった。だから滝沢先生は敗北の意味を体罰によって生徒たちに教えました。その痛みこそが敗北の味です。言葉で説明できるものではありません。

体罰は存在させるべき

体罰は厳禁です。やった者は責任を取らないといけません。

ただし、この問題をそうした決まり事という面だけで語ってしまうと教育面がおろそかになります。

日野皓正のおこなった体罰はダメ。だから責任を取ってもらう。でも実はあれは有効だった。

こうした部分を忘れてはいけません。

週刊誌やテレビは発行部数とか視聴率ばかり気にしているので、偏向報道になってしまうのはまあいつものことです。

でもネットやSNS上ではちゃんと本当のことを言うべきです。格好の面白いネタなのかもしれないけど、非常に大きな問題を世の中に発した事件でもあったはずです。

体罰の有効性をあらためて世間に知らしめた事件だったはずです。

学校教育の場で体罰はさすがにマズイけど、それ以外の課外活動の場ではアリなのではないかと考えさせられます。いわばワイルドカード的に存在していてもいいのではないでしょうか。

学校では教えられないことを社会で教えるのです。

罰として叩くのではなく、人の道を教えるために叩くのです。日野皓正や滝沢先生の体罰がそうだったはずです。そして生徒たちはそこから大切なことを学んだはずです。

まとめ

体罰は原則禁止なので日野皓正には責任を取ってもらわないといけませんが、今回のように有効な体罰だったケースでは処分を軽めにしておくべきでしょう。そうやって体罰をあとから精査することも必要です。

テレビやネットでもこのへんを考慮して取り扱うべきです。

体罰は劇薬みたいなもので運用が難しいから基本的には禁止。でも否定できないパワーを持っていることもまた事実なのです。

スポンサーリンク
336
336
スポンサーリンク
336